
現代で住居侵入罪(不法侵入)はもちろん刑法により犯罪となります。
では戦国時代はどうだったのでしょうか。
実は戦国時代にも不法侵入に対する法律が存在していました。
それは今川氏親と義元が制定した今川仮名目録にあります。
今回は、現代の住居侵入罪(不法侵入)とはどのような罪なのか、戦国時代において不法侵入は具体的にどのように処理されていたのか比較しながら解説します。
歴史と一緒に現代の法律を学ぶでござります!
戦国時代にも同じような法律があったのでござるな!
現代の住居侵入罪(不法侵入)はどんな罪?
現代の住居侵入罪(不法侵入)は刑法第130条にあります
さっそく確認しますぞ!
正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する
住居侵入等は住居侵入罪と不退去罪の2つの罪が含まれます。



不退去罪は理由があり住居に入った後に「帰ってほしい」と要求しているのに居座るなどした際にあてはまります
住居とありますが、お庭に侵入された場合はどうなるでござるー?
住居・邸宅・建造物以外にもこれらの庭も該当しますぞ!
戦国時代における住居侵入の罪
戦国時代にも不法侵入に関する法律があります。
今川仮名目録:第七条の「不法住居侵入者の処理」という法律です。
さっそく内容をみてみましょうぞ~
第七条 不法住居侵入者の処理
夜中に他人の屋敷の門より中に入り独りで佇むなどの輩は、知人でもなく、かねての約束による来訪でもないならば、とりあえず逮捕し、あるいは抵抗を受けてはからずも殺害したとしても、屋敷の主人の咎にはならない。
かねてまた、他人の屋敷の下女と婚姻した下人が、下女の主人届け出せず、また同僚にも知らせずに、下女のもとに夜中に通ってくる場合、屋敷の者が逮捕あるいは殺害におよんでも咎にはならない。
但し、逮捕して究明のうえ、下女に通婚のことが明らかになるならば、その者を分国(今川家の領地)から追放すべきである。






よく分からないけど色々と恐いでござる・・
今では考えられないような内容ですが・・
戦国時代は未だ社会情勢・秩序が安定していなかったこともありこのような法が制定されていました
夜間の突然の来訪者については特に警戒していたんでござるな・・
現代より命を狙われる危険性が高く人の家(屋敷)に出入りするということに対する敷居が高かったと考えられます
通婚とは?
簡潔にいえば、相手の家に通ったあと正式に結婚するといったことです
平安時代では男性が女性の家に通い婚姻へという流れでしたが、室町時代には女性が男性方の家に嫁ぐという形が主流となりました。
仕えている主人がいる女性の場合、男性が婚姻目的で通っていることがありました。その場合、主人はその男性を召し使ってよいというルールが地域によっては存在していました。
ところが、親などの許可なく強引に女性と会い(襲うなどする)その家に居座るなどの男性がおり、これについては厳しく取り締まりが実施されました。
このような事例からか主人の管理下にある女性に許可なく会いにきた男性は殺害されてもやむを得ずと今川仮名目録にも記されています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は住居侵入に関する罪について戦国時代と比較しながら解説しました。
最後にもう一度内容を確認するでござる~